●裏町組合の失態

ヴァネッサ経由で裏町組合から監視をつけられたメノウだったが、気にせず情報を収集しようと動き始める。
一方で白昼堂々と襲撃を受けたアーベンたちはブラックフォックスの発案で襲撃者たちを追いかけることに。

●街外れの災難
【物語舞台】城外の街はずれ
【登場人物】 ルイーズブラックフォックスアーベン
 家出中のお嬢様であるルイーズは、生活のために知り合いの紹介で護衛の仕事をもらうことになった。
 依頼者に会うために待ち合わせ場所へ向かった彼女は、そこでどんなことが起きるか知らない。
●盗賊たちの奸計
【主な登場人物】 アルメルハノワリノアクロエラヴァネッサ(NPC)メノウシヅキノワブラックフォックスミーシャ
 盗賊まがいの仕事をするヴァネッサは同じ裏町組合所属のメノウと会合をする機会を得る。
 それにはとある事情があり、いくつもの隠された意図と野望が隠れ潜んでいた。

【登場人物】
アーベン
ルイーズ
ブラックフォックス
メノウ
ノワ
ヴァネッサ
アルフレド


 
「飯食う気にもなれねえな、おい」
 メノウは裏町組合所属のヴァネッサから自分の部下が街外れでやらかしていることを指摘され、解決するまでヴァネッサの息が掛かった監視役であるノワを連れ回す羽目になっていた。
 メノウは横を歩く長身の男――ノワが鬱陶しくて仕方がないと苛ついている。自分の身長について揶揄されているような気分だ。
 いつもならこの時間は宵闇の華亭で知り合いの話でも聞きながら昼食を摂っているころだが、今日はそうもいかない。
 事態の把握と解決が自分の仕事である。
 どうにも厄介だ。
 そもそもメノウに部下などいない。裏町組合に入る新人の中でも自分と同じ稼業――盗みを行うものにある程度の指導してやる立場というだけだ。
 その過程で慕われたりすることはあっても、大規模な窃盗団をまとめ上げたりしているわけではない。
 だがヴァネッサはその点に関して何も言わなかった。どうせノワを付けるのを含めて別の奴らから指示されているのだろう。ヴァネッサはこちらへあまり情報を話そうとしていなかった。そもそもメノウのことも盗賊のこともそこまで深く知っているわけではないのだろう。
 メノウとヴァネッサの接点の少なさに目をつけた誰かが探りを入れる役として抜擢したに違いない。
 だがメノウの部下と称されている奴とブラックフォックスがぶつかったということだけはやたら正確だった。わざわざあそこだけ個人名が出ている。
 ブラックフォックスは左腕に日本刀を携え、一撃必殺の戦闘を得手とする。戦闘は左手のみで行うのが有名だ。
 その名前だけ全面に出ているのは界隈での有名人であることを差し引いても疑念が残る。今回の問題はそこが肝なのだろうか。
 とりあえず全容を把握しないことには始まらない。
「どこへ向かってるんだ?」
 大股でゆっくりと歩くノワは視線を下げもせずにメノウへ声をかけた。
 そのぞんざいさにメノウは舌打ちしてから、前だけを睨みつけて歩いていく。精一杯の大股歩きだが、ノワの速度と変わらない。ノワがメノウへ合わせているのだ。
「とりあえず情報を集める。いっとくが、おまえがヴァネッサの駒なんざ、一サルも思ってねえからな」
「そうか。今のも報告しておく」
 やりたきゃやれ、と言い捨ててメノウは細い路地へ入った。
 それから何度か道を奥へと曲がっていき、一つの店へ入る。あまり繁盛しているとも思えない織物の店。かしいだ木造の建物には数日前の雨の臭いがまだ立ち込めているような、湿気た香りが充満していた。
 ノワは顔色一つ変えることなくメノウへついていく。
 メノウは吊るされた布を手で払いながら、店の奥へ入っていった。そこには老人が一人、口をもごもごさせながらぼんやりと宙を眺めている。
「城外でなにか起きたって話は聞いてないか?」
 どうやらメノウはここら一帯で情報収集をするつもりらしい、とノワは気づいた。
 老人はもごもごとゆっくり腕をカウンターの上へゆったりと持ち上げた。手には何もないが、袖がはだけて腕の全面に彫られた入れ墨が垣間見えた。どう考えても織物を仕立てる仕事の手には見えない。
 皺とシミで薄汚れた入れ墨。その中にある三つの瞳がノワをじっと見た――そうノワは感覚する。錯覚に過ぎないのに、目を通じて恐怖を発しているように思えた。
 ノワは持ち前の理性を持って恐怖を跳ね除け、落ち着いている態度を滲ませた。
「分かってる。話が先だ」
 メノウの朗らかな態度にも老人は頑として譲らなかった。皺だらけの顔はちっとも動かない。身じろぎ一つしなかった。薄い目が恨めしげにメノウを見つめた。
「分かった。じゃあこうだ。半分先に渡す。聞いてからもう半分だ」
 今度こそ老人は頷いた。メノウは老人の出す手にそっと銀貨を握らせ、ゆっくりと閉じさせる。
 カウンターの引き出しをのそのそ開けた老人は小さなメモを書いて渡し、今度はメノウにそれを握らせる。
「ありがとよ。ほら、ついでにそこのを貰うかな」
 後払いの銀貨は最初の倍出して、おまけに安物の薄い織物を一反買った。
 老人がカウンターから出て、織物を出している間にメノウはノワに耳打ちする。
「こうやって情報収集するわけよ。これも報告するか?」
「当然だ」
「くそっ、今度から使えねえかもなこれ」
 鮮やかな織物を抱えたメノウは、頭を掻きながら店を出る。
 それからもメノウはいくつかの店を回り、そのたびに金をばらまきながら情報を集めていった。
 皺と水の痕が残った、みすぼらしい幌を立てている路上の両替屋。何ヶ月も鎧戸が開かれていなさそうな湿っぽい酒場。はたまた桜花広場ですれ違った知人。
 ノワにはメノウの足取りに明瞭の動線の類は一切感じられなかった。行き当たりばったりで動いているように見える。しかしメノウほどの盗賊がそんな考えなしに動くとは思えない。この都市で生き抜くために彼が生み出したノウハウなのだろう、とノワは考えた。
 そうして情報を集めたメノウは最後に街を出て、外れのその先へと足を運ぶ。
 風にたなびくまだ青い麦畑を通り過ぎ、低い山が連なる小さな森へと踏み入る。整備されているとは言い難いが、メノウの行く先には草が踏み均されて道が出来ていた。
「ひとまずは状況が把握できた。もう少し先だ」
 そう言ったメノウは手持ちの小さなナイフを閃かせ、枝を切り落としつつ先へと進んでいく。草いきれの鋭い臭気があたりに立ち込めていた。
「ヴァネッサが言ってたブラックフォックス関連の話はマジらしい。知り合いが、というより世話をしてやった若いのがブラックフォックスとやり合った。何人かは返り討ちにされて死んでる。狙いはアーベンって傭兵崩れの学者らしい。古代の遺跡とやらを探してるんだと。遺跡って傭兵より儲かるもんなのかな。雇ったのが偶然ブラックフォックスだったおかげで、そいつは命拾いしたってわけだ。俺の間抜けな生徒は死んじまったが」
「それで」
「んな相槌があるかよ。少しは考えろ」
「本職は盗賊だ。別に護衛でも部下でもない」
「なら余計考えろよ。……考えてりゃ、死なずに済んだかもしれんのによ」
 舌打ちしたメノウは前傾姿勢になって濃い葦の一帯を抜け、さらに森へと踏み込んでいく。山のふもとまでやってきた。
「アーベンってのがなんで裏町所属の盗賊なんかに狙われるようになったかを調べたら、街の外にある洞窟が一つ浮かんだ。そこは裏町組合が管理してるキノコの栽培地だったんだよ」
「キノコ?」
「洞窟は陽が差さないし、湿度もある。薬の原料になるキノコの栽培に適してるらしい。メノウちゃんのシノギじゃあねえからな、調べるまでは知りもしなかったよ。裏町組合が栽培主を支援してるってことで、薬の原価を抑えてる。購買部で組合員に安価で捌いても儲けが出る仕組みってわけだ」
 そう話す二人の前には生い茂った森のなかでひっそりと穴を晒す洞窟があった。冷たい風が中へ中へと吹いている。
 メノウが先陣を切って、洞窟へ入る。暗い洞窟の中には、明かり取り用にいくつもの燭台が並んでいた。蝋燭はないから、樹法を使って明かりをともしているのだろう。
 メノウは松明を手に、洞窟の壁を照らした。ノワはそれを頼りに後をついていった。
「そこをアーベンが嗅ぎつけた?」
「いや、偶然だ。単に遺跡調査したいってことで、奴が洞窟に入ろうとしたらしい。当然警備の連中が止めるよな。でも何かしらの権限があるわけじゃないから、襲ったりしなきゃならねえってわけよ」
「それに対抗したアーベンが護衛を雇って、ブラックフォックスとやり合う羽目になって、ようやく表沙汰になったってことか」
 そう言ったノワは、洞窟の奥で並べられていた棚にいくつもの原木が置いてあるのを見つける。
 びっしりと白いキノコが生えていた。

 **

「大丈夫?」
 ブラックフォックスは血まみれの刀を手に、アーベンとルイーズが敵を振り払うところへ悠々とやってきた。
 ちょうどルイーズが小ぶりなナイフで敵の剣を振り払ったところで、アーベンがそこへ隙をみて追撃を加えたところだ。
 ちょうど一区切り付いたところだった。
「こっちは大丈夫! そっちは?」
「問題ない。って、血出てるじゃない」
「え? どこどこ」
「耳のとこ。後ろからかすめたみたい。毒使ってる様子はなかったから止血だけで良さそう」
 うわー、とルイーズは自分の傷口に触れて顔をしかめる。
 ブラックフォックスは簡単な手当を済ませた。
「それより、あいつら裏町の盗賊たちですよ。心当たりは?」
 アーベンは顔についた血を拭っているところだった。少し考えて、首をかしげる。
「いや、ここのところは洞窟の遺跡を回っているだけだ」
「じゃあ探るために突っ込みましょう」
「突っ込む?」
 ブラックフォックスの言葉にルイーズは首を傾げた。
 だが、すぐさまその意味に気づいた。
 集まりつつあった人だかりのなか、一部の連中だけ逆行して猛然と輪の外へ走っているのだ。
「あいつらを追いつつ、敵を見定めましょう」
「罠の可能性は?」
 アーベンが元傭兵としての所感を述べた。
 だがブラックフォックスは首を振る。ふさふさの耳が緩くなびいた。
「どっちにしろこれ以上後手に回っていたら、対策取られますよ。アーベンさんが仲間を二人連れてる利点を活かせるのは、今だけです」
「なるほど。じゃあ行こうか。ルイーズ、いいかな?」
「もちろん! 依頼を受けた以上、やることはやるよ!」
 三人は人だかりを割って、逃げる盗賊を追いかけた。
 街外れは都市計画も何もないので、道は曲がりくねっている。道ありきで建物が建てられているのではなく、建物と建物の隙間が道になっていった経緯があるのだ。
 ぐねぐね曲がる道は追いかけづらいが、弓やクロスボウで遠距離から狙うには死角が多すぎるため追う側も多少有利だった。
「あぶなっ!」
 ルイーズが身を捻って追手の一人が振り回す剣を躱した。敵が逃げるだけでは埒が明かないと判断したのだ。
 一回剣を交わらせてすぐに追っ手は別の路地に飛び込もうとする。
 だがブラックフォックスはそれを逃さない。一気に身体を横へスライドさせ、立ち止まりもせず勢いだけで刀を振り抜く。身体は前へ飛びつつ、刀筋だけが綺麗に敵の首を掠めた。
 そのまま勢いを殺すことなく、走り去った別の敵を追いかける。
「走って! 逃げられる!」
 その声でルイーズは我に返り、また追いかけ始めた。
 敵は何度も路地を曲がり、追手を撒こうとする。だがブラックフォックスの獣人種らしい身体能力には勝てない。
 だがこのままでは全員追い詰めて、そのまま全員殺しかねない。
 それでは意味がない。
「少し速度を落とします」
 ブラックフォックスはアーベンに向かって軽く手を挙げて合図。ルイーズも合わせて速度を落とした。
「どうして? このままなら全員捕まえられるよ?」
 ルイーズは肩で息をしつつ、ブラックフォックスに並走した。
「大体の逃げてる方向に見当が付いた。走りに多少の迷いがあるところも含めて、恐らくは目的地があるんだ」
「だが俺らを撒けない限りそこには行かないってわけだな」
 ブラックフォックスは頷いた。
「ここからは追っていることをバレないようにします。そうすれば、奴らがどこへ向かっているか分かるはず」

 **

 ヴァネッサは洞窟から帰ってきたノワに一連の話を聞いた。
 雑踏の腐臭が部屋の中まで漂ってくる酒場のテーブルで濃いコーヒーを飲み干したヴァネッサは、膝に抱いた猫を撫でながら思案を巡らす。
「あー洞窟か……。全体的に白くて、傘の部分が波打ってるやつ?」
「見た限りだとそんな感じだったな」
「じゃあナメシタケだ。鎮痛作用にも使えるけど量と配合次第で眠り薬とか幻覚作用にも使える。麻薬に混ぜると悪酔いしにくくていい夢が見られるわ。買うと高いのよね」
 まあ、とヴァネッサは続けた。
「結局組合の内部抗争に巻き込まれただけ?」
「そうなる」
 ノワは特に何の感慨も浮かんでいない様子で、足を組んだままぼんやりと外を眺める。特に今回の話に興味がないようだった。
 ヴァネッサは深くため息をつき、コーヒーのおかわりを注いでもらった。湯気の立つカップをじっと見つめている。
「ノワちゃんはどう思う?」
「どう、とは?」
「これからあたしたちはどうすれば良いと思う? ってこと」
「俺とおまえは違う。ひとくくりにされても困るな」
 ヴァネッサがテーブルに手のひらを叩きつけそうになったところで、膝に座る猫のしっぽが柔らかく振られてヴァネッサの太ももをなでた。
「だがまあ俺のことに限るなら、なるべく関わり合いにはなりたくないと思っている」
 ヴァネッサは組合からメノウについて頼まれたが、ノワはヴァネッサが個人的に雇っただけだ。だからここでさっさと手を引いたところで、組合から恨まれることはない。だから二人の間では事情が違う。
 ヴァネッサは頭を抱えて、執拗に強く猫をかき抱いた。生暖かい体温が腕のなかで鳴き声をあげる。
「あたしももうそれでいいかなー。これってどうせブラックフォックスちゃんは組合と対立したいわけじゃないんでしょ」
「それは分からん。メノウとブラックフォックスが組んでいる可能性だってあるだろう」
「んー、それはないかな。ならメノウちゃんにはアーベンを守る必要がないだろうし」
 メノウが最初から洞窟のことを知っていた上でブラックフォックスにアーベンの護衛を頼んだと考える理由はない。
 アーベンが洞窟へ辿り着けたとしたら、キノコの栽培が表沙汰になってシノギを奪うことができなくなるからだ。
「メノウちゃんが洞窟に気づいたのは本当に偶然だと思うよ。ブラックフォックスちゃんがアーベンの護衛をやってなかったら話が回ってこなかっただろうし」
「組合の弱みをメノウが握った形になるのか」
「どうだろ。別にこれってメノウちゃんが知ったところでどうにかなる話じゃなくない?」
 いやそうじゃない、とノワは前置きして、
「おまえを動かしてアーベン襲撃の件をメノウへ擦り付けようとしたことが弱みだろう。組合がメノウを守るどころか生贄にしようとしているんだからな」
「あー、そっちか。忘れてた」
 普段の組合は組合員を守る、という建前がある。だが今回の件は真逆だ。
 アーベンが組合の隠したキノコ栽培に偶然気づきそうになり、それを妨害するために盗賊たちをけしかけた。だがそこでアーベンがブラックフォックスを雇って事態は思いもよらぬ方向へ転がった。アーベンが諦めるのではなく、盗賊たちが逆にしてやられたわけだ。その問題を組合は隠蔽する気でいるが、完全に隠し通すのは不可能だ。ブラックフォックスが暴れたとなれば、すぐに噂になる。だから盗賊を動かした責任をメノウへなすりつけて、組合は知らん顔をするつもりでいたわけだ。だがメノウは猛然とこの事実を調べ上げ、組合のやらかしに気づいた。失敗に失敗を重ねた組合の連中にとっては最悪の状況である。
「それでメノウちゃんが強請るってのはありそう。まあでもブラックフォックスなら自力で誰の差し金か気づきそうじゃない?」
「あり得る話だ。それでおまえはどうするんだ?」
「メノウちゃんだけならともかく、ブラックフォックスちゃんも敵に回したら分が悪すぎるでしょ。上への報告はいいや。直談判に行くよ。メノウちゃんもそのつもりでしょ? 鉢合わせれば、組合員を守る気ないのかってことで弾劾してちゃっかり仲間ぶるつもり。ふふっ」
 まあブラックフォックスが犯人を突き止めたらって憶測ありきだけどね、とヴァネッサは笑ってすっかり冷めたコーヒーを飲み干した。

 **

 ブラックフォックスは逃げた襲撃犯の一人を丹念に追跡し、一軒の建物へと入っていくのを確認した。
 犯人を突き止めた、というわけだ。
 建物は街外れの一角にあり、生け垣には茨が植えられている。自然に侵入者を阻む意図が感じられる。大きな入口は表の門だけで、人の身長の倍ほどの高さがある。隣には警備員が常駐できる小さな建物があり、その外で腰に剣を佩いたガラの悪い男が一人立っていた。警備員用の建物の中は見えず、何人がいるのか把握することはできない。
 さらにこの建物の周りには不自然な人影が多いことに三人は気づいた。
 ゆっくりと辺りを周回している連中がいるのだ。ときおり立ち止まったり別の場所へ移動しているが、一定の時間が経つと戻ってくる。
 おそらく彼らも警備のためにいるのだろう、と考えられた。
 かなり周到な警備がされている。
 しかしブラックフォックスは難なく建物へと入った。
 正面突破。
 警備の男が三人の影に気づいて報告のために建物内へ入ろうとした瞬間に攻撃を仕掛けたのだ。
 すでにブラックフォックスたちが襲撃者を返り討ちにしたことは知られていたのだろう。建物内へ入ろうとした男は顔が青くなっていた。しかしブラックフォックスはそれを一顧だにせず、警備員用の扉を開けるのを待ってから首を落とした。
 それから男の身体を脇へどけて、悠然と中へと入る。
 中には丸いテーブルが中央へ据えられており、奥には行く扉があった。門を隔てた中と外、両方から入れるようになっている。
 そして室内には立ち上がった男たちが二人いた。一人は今飛び起きたようで、テーブルの木目が頬に痕として残っていた。
 二人が剣を抜く前に、ブラックフォックスはテーブルへあがった。狭い室内で刀を振り回すなら、空間の開けたところへ陣取るのが一番というわけだ。
 無造作にテーブルへ置かれた木製のコップが跳ね上がり、散らばったカードが床へ落ちる。気にもしないブラックフォックスが刀を構えた。
 広々と空間を使ったブラックフォックスは泰然と二人を斬り飛ばす。
「こっちから中に入れるみたいだ。さすがに騒ぎになるだろう。気を付けて」
「うん」
「こんなに派手にやって大丈夫か」
 アーベンは死体を見て少しだけ苦々しげだ。
「樹法があればもう少し静かにできるんですけどね」
 ブラックフォックスは喋りつつも、中へ入る扉の内側から掛けられた鍵を手際よく開けていた。
 新鮮な死臭の漂う建物を抜けた三人は、警戒を密にしながら中へと入る。
 しかし広々とした庭には警備の姿がなかった。
 代わりに眠りこけた男たちがあちこちに倒れている。警備をしていたのか手には武器を持っているが、三人の侵入を防ぐどころか気づいている様子さえない。
「どういうこと……?」
 ルイーズは庭に倒れて芝に顔が埋もれている男の身体を仰向けにひっくり返した。
 男は泡を吹いており、時折首筋が痙攣していた。息が荒く、仰向けにしてからすぐ異様ないびきを立て始めた。
「毒が回ってるみたいだ。横にしておいたほうがいい」
 アーベンが言ったことにルイーズがうなずいて折った木の枝を噛ませて男の身体を横に転がした。舌を噛まないよう配慮したやり方だ。
「私たちじゃどうにもできなさそう。それよりこの先で何が起きてるのかすぐ把握したほうが良い」
 ブラックフォックスはルイーズが男を転がしたのを確認してから、屋敷の扉を見た。すでに鍵は開けられているようだった。罠かもしれないので、まずは扉を開ける。いきなり入ったりはしなかった。何も起きないのを確認してからすばやく中へ身体を潜り込ませる。二人も後に続いた。
 屋敷の内装は典雅というより、豪奢だった。広壮としたエントランスは毛足の長いカーペットが一面に張られ、正面には大仰しい絵画が飾られている。三人が横並びで歩けるほどの幅がある階段が両サイドに並んでおり、奥へと続く通路へとつながっていた。
 そして絵画の上、中央の踊り場には派手な服を着た小柄な男――メノウとそれに付き従う黒ずくめで長身の男――ノワが立っていた。それに籠を提げて猫を抱えた女――ヴァネッサも。

 **

 ブラックフォックスたちより少し前に、ヴァネッサは屋敷へと侵入を果たしていた。
 そもそも報告のためにこの屋敷に来る用事があったのだ。そこで緩んでいた警戒を突き、警備の連中を眠らせた。
 依頼主だった組合の男もひとまずは眠らせて、後はメノウが来るのを待つだけだ。ここでメノウが来なければ、ヴァネッサは自分が弁明する機会を逃すことになる。
 想定は外れることがなかった。ヴァネッサの想像通り、メノウは屋敷を突き止められるくらいには優秀だったというわけだ。
「なーんでここにヴァネッサちゃんがいるわけ?」
 ノワを引き連れてのしのしと屋敷へ入ってきたメノウは、眠りこけている組合の男を足で転がした。
 ヴァネッサは、手元の猫を撫でながら努めて冷静な表情を保った。
「組合員を守らないクソへの私刑に来てたってだけだよ」
 メノウは一瞬目を眇めて、ヴァネッサの真意を図る。
 おそらくはブラックフォックスとことを構えるのを避けたいのだろう。組合側についていれば、ブラックフォックスとの敵対は避けられない。メノウへ媚びを売ることで、寝返る意思を見せているのだろう。その上で、立場をなるべく下げないようにしている。そのための飄々とした態度、というわけだ。
 メノウはヴァネッサの意図を察して、にやりと笑う。今は敵対する必要がない。いざとなったときのノワの出方が分からないから、高圧的すぎる態度は慎むべきかもしれない、とメノウは考えた。
 ここからはお互いがどこで譲歩するかの話し合いだ。なるべく組合から利を貰わなければ、割に合わない。
 そうしてメノウが口を開こうとした時だった。

 **

「待って!」
 扉を開けたブラックフォックスは室内にいた三人の人影へ猛然と走り出していた。
 手前にいたメノウはすぐさまソファの下へ身体を潜り込ませ、その横に立っていたノワは壁際へすっと足を運びつつ窓への動線を確保しようとする。一番奥のヴァネッサだけが声を出して両手を広げていた。ブラックフォックスの後ろで弓をつがえていたルイーズが見えていたのだ。
「なに?」
 ブラックフォックスは刀を構えたまま不快そうに尋ねた。
「敵じゃないから! 敵はこれ! こいつ!」
 そう言ってヴァネッサは地面に転がる組合の男を指差す。気絶していて、意識はない。
「じゃあキミらは?」
「敵の敵かな」
 いつの間にか立ち上がっていたメノウが服についた埃を叩いて、ブラックフォックスへ近寄っていた。
 小さな背を目一杯伸ばし、三人を威圧した。そして鋭い視線をアーベンへと向ける。
「おまえが狙われてた理由を説明するよ。敵の素性もな」
 そう言ってメノウは洞窟とキノコの話をした。
 アーベンを襲っていた盗賊たちは組合が指揮していた。理由は洞窟内で栽培しているキノコの隠蔽だ。しかしブラックフォックスの登場によって目論見が外れ、その責任をメノウへ押し付けようとした。そうして今ここに組合の被害者たちが総出で文句を言いに来た、というわけだ。
 組合のことは深く話さなかったが、アーベンは大体察したらしい。
 ブラックフォックスとルイーズも事情を把握し、自分たちの巻き込まれた面倒な事情にため息をついた。
「じゃあこいつを殺せば終わり?」
 ブラックフォックスは刀の先を転がった男の首元へ突きつけ、メノウを睨む。悪意や恨み、殺意といったものが微塵も感じられない冷静な言葉。落ち着き払った態度は熟達したブラックフォックスの仕事ぶりを端的に表していた。
 だがそれを遮る者がいた。
「待て。本当に殺す必要はあるのか」
 アーベンだ。
 苦い顔をした彼には、ここまでたどり着くまでに見た死体の数を反芻しているかのような重苦しさを伴っていた。
 だがそんなアーベンを気にする様子もなく、ヴァネッサが自分の主張をねじ込んでくる。
 逆に言えば、ここで言わなければヴァネッサの立場は悪くなりかねない。黙ってことの推移を見守る理由が彼女にはないのだ。
「洞窟に入れるようになればいいんでしょ? キノコはあたしに頂戴。栽培場所探しは手伝うから。それで洞窟開ければアーベンちゃんも納得するでしょ?」
 アーベンは洞窟を調査したい。メノウは巻き込まれたからには利益がほしい。ブラックフォックスは依頼を完遂したい。
 ならばここでさっさと全員の意見をまとめた上で、ヴァネッサ自身の利も確保しておくべきだった。そのうえで仲間であるというアピールも欠かせない。一時とはいえ組合の手を貸したわけだから、ブラックフォックスに敵認定されないとも限らないわけだ。
 だがそんなヴァネッサを見越したように、メノウは落ち着き払った様子で全員を見渡す。
「タダでってのは納得しないだろ。だがメノウちゃんの話なら聞くさ。こいつは組合員に借りがあるしな。キノコは格安で譲る。洞窟は明日中に片付けるから、おまえはそれでいいだろ?」
 おまえ、と言われたアーベンは事態がトントン拍子に解決しようとしている状況に面食らいつつも頷いた。
「まあ俺は気にしないが……というかキノコをあそこで育ててるなら南の洞窟のほうで栽培できるだろ。あっちならもう調査済みだし勝手にすればいい」
 アーベンには数々の遺跡を調査した実績がある。それゆえに、土地に関してもそれなりの造詣があった。
「マジで?」
 候補地を探す手間が省けたことによって拍子抜けしたようにメノウは肩の力が抜けた。
「あそこも遺跡だから壊すなよ」
「これで丸く収まった。ありがとうな」
 メノウはアーベンの肩を強く叩いて喜びを表した。
「後はこっちでやるから明後日からは洞窟に行っても大丈夫にする」
 そう言ってメノウは気絶した男を足で転がす。使い道を思案しているような、少し楽しげな笑みだ。
「片付けるのは時間をかけていいから遺跡を壊さないでくれよ」
 アーベンは長いため息をついて、騒動が一区切り付いたことに安堵した。

 **

 屋敷を後にしたブラックフォックスたちは、ひとまず街外れのどこか落ち着けるところへ行くことになった。
 結局護衛の仕事が必要なくなったため、明日以降の予定は振り出しに戻ってしまったのだ。
「あー、なんかバタバタした一日でしたね」
 知り合いのツテでもらった仕事がこんな形になるとは思わなかったルイーズが、頭の後ろで腕を組んでぶらぶらと歩く。
 しばらくぶらついたところで、カフェ・ド・エクスを見つけた三人はテーブル席を陣取って飲み物を頼んだ。店員のアルフレドは丁寧に注文を取って、奥へ引っ込んだ。
「まあこれで終わって安心したよ」
 椅子にどっかり座って息を吐くアーベンの顔には疲れが滲んでいる。
 そんな様子に申し訳無さを感じながら、ルイーズが話を切り出した。
「今日の分って……」
 ルイーズは申し訳なさそうな表情を作ってアーベンを上目遣いで見つめた。
 汗を拭ったアーベンは、「もちろん払うよ」と言って荷物をまさぐる。
 しかし徐々に顔を青ざめさせ、がさがさと荷物をテーブルへ広げた。
「どうしたんです?」
 ブラックフォックスが目を細めて、アーベンの焦った表情を見た。
「な、ない……」
「何が?」
 もう大体分かってしまったが、それでもルイーズは聞かないわけにはいかなかった。
 アーベンが真っ青な顔で項垂れて、申し訳なさそうな声をだした。
「財布、なくしたみたいだ」
 ブラックフォックスがゆっくりとアーベンへ向かって微笑む。
「まからないよ」
 今日の行動を考えたら、その言葉には途轍もない重みがあった。

 **

「あーあ、今日は割に合わなかったぜ。メノウちゃん、こういうのやりたくないんだよな」
 メノウは目を覚ました組合の男と話をつけて、行きつけの店――宵闇の華亭へ向かうところだった。
 ちょうどノワも同じ店へ行くところだったらしく、隣でしげしげとメノウの手元を見ている。
「よくそんなことしたな」
「これ?」
 メノウの手元には大きめの袋、銀貨の入った財布が握られていた。
 それをメノウはお手玉のように宙へほうりながら、今日の疲れを反芻している。
「大した稼ぎにならない仕事だったんだから、いいだろこれくらい」
「あんなタイミングでやるのが信じられない」
 ノワはそんな危ない橋を渡る気にはなれない。メリットも大きくないのだ。
 もしアーベンの財布を盗んだことがバレていたら、ブラックフォックスに斬られてもおかしくない状況だった。それにも関わらずメノウは本職である盗みを遂行していたのだ。
「逆だよ逆。普通やらないからこそ、バレないんだ。あんな状況だからこそ盗むってことだよ」
 そう言ってメノウは財布を手元で弄んだ。
 一日が終わる。陽が落ちていき、街は陰へと沈んでいった。

 Novel.725404