●盗賊たちの奸計

【登場人物】
アルメル
ハノワリ
ノア
クロエラ
ヴァネッサ(NPC)
メノウ
シヅキ
ノワ
ブラックフォックス
ミーシャ

「ありがとうございましたですー!」
 桜花広場の一画で元気な声が響く。喧騒にまぎれてすぐにかき消えるが、頭を下げていたハキハキとした女の子――アルメルの朗らかな笑みはいつまでも消えなかった。
 彼女の笑顔に惹かれたのか、甘い香りの漂う店に並ぶ人影が増える。
 そこに翼の生えた男――ハノワリがするりと滑り込む。翼を大きく振り回すことはなく、静かに鉤爪を路面に立てて列に並んだ。
 その横では他の店もまばらに増えた客たちをさばいている。
 広場の近くにある建物内では通りを眺めながら、人混みが増える前にさっさと昼食を買って食べている少年のような姿の小人種――ノアがいた。
 片手でつまめるパンを頬張りながら、大きな革の装丁の本に目を落とした。
 さらにそれよりも広場から離れた先――城外の方では外で食事中の人々に向かって大道芸を披露する女が、火のついた大きな棒をいくつも宙に投げては掴んでを繰り返していた。
 クロエラと呼ばれるその女が、炎の揺らめく棒をくるりと宙で反転させて回転の方向を変えると周囲の客たちはざわめきを広げる。
 からっとした天気の下で、彼らはいつも通りの日常を過ごしていた。
 日中は海からの風が強い。髪が煽られる程度だから日陰だと心地よいほどだ。
 しかしそれは誰もが享受できる温かみではない。こうした部分は、双子都市ソーンの“表”に過ぎない。“表”には必ず“裏”がある。

 **

 窓のない部屋に、向かい合って座る二人がいた。
 廊下に続く扉の前には無言で立つ鬼人種の男――シヅキがいて、沈黙を保ったまま二人の邪魔をしないように護衛をしていた。
 二人の護衛ではない。この建物の護衛の一人として、雇われているのだ。
 特にこの部屋は聞かれたくない話をするために使われることが多く、必ず護衛が部屋の内外についている。
 裏町組合では本当に内密に抑えたい話をする場合、地下室などのそもそも街のなかに存在する記録のない部屋を使うことがままあるが、今回はそうした地下室などは使わず、この部屋のように一般にも開かれた――しかしそれなりの機密が保たれている部屋を利用している。
 地下室などを使う場合は当然のことだが、鍵の出納記録が記されることになっている。誰がいつ使ったかという管理を裏町組合が行うのを徹底することで、地下室内の機密を保っているのだ。
 しかしその分、裏町組合に秘密にしたい話をするには向いていない。
 そのため、今日の二人は一般的にはただの貸し会議室として開かれてはいるものの、それなりの金を積めば十分な機密性を保ってくれる建屋の一室を借りていた。
 護衛の存在も機密を保つのに一役買っている。
 シヅキがこの部屋を任されたのは、仮面を被っていて表情が伺いにくいからだ。この部屋を使う者たちの気分を害さない程度の存在感で護衛ができるということでもある。
「あたしが呼んだ理由、分かる?」
 テーブルの片側に座る女――ヴァネッサは身体を揺らしながら、湯気の立つコップに自前の液体を零した。
 真っ黒なコーヒーの表面に油膜のように虹色の渦が巻く。
 対面に座った男――メノウは苦りきった顔をタオルで拭いつつ、無理やり笑顔をつくった。
「なんのことだか。メノウちゃんには分かんねえな」
「ふうん、そういうこと言うんだ」
 ヴァネッサがコーヒーを飲んだ。テーブルにコップを置いて一息。口元に垂れた分をナプキンで拭って、白い手袋を外した。
 上から見下ろすようにしてメノウを睨んだ。飲んだコーヒーが喉を通り過ぎた熱さを堪能するように大きく深呼吸して、身体を大きく揺らした。
「ラリって話す気がねえなら帰るぞ」
 メノウが頬を上気させたヴァネッサを睨んだ。彼はそこまで背が高い方ではないから、彼女を見上げる格好になる。
 視線を感じたヴァネッサは満足げに笑みをこぼしつつ、膝の上に抱いた猫をなでた。
「待ってよ。これがあたしのスタイルなんだから」
 ヴァネッサがコーヒーに垂らしたのは彼女が生成した薬の一種だ。彼女は自分で作ったものに絶対の自信を抱いているから、自分で飲むことに何の抵抗もなかった。それに彼女は自分が作ったハイになれる薬を飲むことを止められるほどの自制心はない。
「で、お前の話ってのは?」
「単刀直入に言うと、城外の騒動ってメノウちゃんのせいでしょ? 裏町組合で問題になってるよ」
 メノウは小さな身体の動きを止め、無表情でヴァネッサを見た。
「なんで知ってるんだ?」
「友だちが教えてくれたんだよね、何人か顔を知ってるのが動いてたって。んで気になったから他にも薬屋の友だちとかから話聞いてみたらメノウちゃんとこの部下が関わってるって。でも組合じゃそんなこと誰も話してないじゃん? で、ピンときたのね」
 そう言ってヴァネッサはコーヒーを一口飲んだ。
 唇を潤し、舌をべろんと垂らしてむき出しの歯列を見せた。
「これメノウちゃんが何かやらかしたな、ってね。んでわたしとしては黙ってるわけにはいかないよね。かと言ってチクるのも可哀想じゃん? だからあたしはこうして直々に来てあげたの」
「問題が起きてるし、いずれ大事になるよって親切に教えに来てくれたのか」
 テーブルの上にヴァネッサの女にしては大きい、節くれ立った手のひらが叩きつけられた。
 大きな音にこの場の誰もが反応しない。
「なにとぼけてんだクソが! んなわけないじゃん!」
 発汗のすごいヴァネッサは額に珠のような汗を浮かせて、髪を振り乱した。
 メノウはじっと無表情でヴァネッサを見る。何も言わないようにして、嵐が過ぎ去るのを待つ態度だった。
「てめえ、こっちが下手に出てりゃあ良い気になりやがって。黙ってりゃ何でもやってくれるママがいるのかな〜!」
 テーブルに膝を立てたヴァネッサがコーヒーをぶちまけながら、メノウの小さな頭をなでた。
 メノウは拳を血が出るほどに握りしめて、反応するのを抑えた。
「何をさせる気だ?」
「そうそう、それで良いんだよメノウちゃん。なんで今までそれができなかったのかな」
 唐突にキレたヴァネッサは、同じように唐突に戻った。
 そうして話をもとへ戻す。
「カタがつくまでわたしの雇った用心棒を手許に置いといてくれない? 逐一そっちから情報がほしいの」
「情報なら渡すさ」
「信用できるわけないじゃん。チョーシのんな」
「他には?」
「ないよ。これでメノウちゃんが動かす手駒が分かるからいいの。この騒ぎを利用したいから、まずは全体を把握しときたい」
「利用?」
 メノウは片眉をつりあげて、興味深そうな表情でヴァネッサの目を見た。
 ヴァネッサはにやりと笑って胸の前で腕を組み、指先で自分の鼻をかいた。自信の満ちた顔に野望の色が滲んだ。
「メノウちゃんさ、組合に何か手を入れてるでしょ?」
「手を入れてる?」
「手駒を送り込んでるか職員に情報を売らせてるかして、組合内を操ろうとしてるフシがあるってことだよ」
「なるほど。そういうところはあるな」
 そもそも個人で裏町組合に所属している者でもない限り、組合に手駒を送り込んでいるのは普通だ。
 メノウのように組織を作って集団で活動していると、何かと便利に扱われやすい。そのため、逆に迷惑を被ることも多くなる。そうした時に便宜を図ってもらう際、組合に仲間がいるとスムーズにことが運ぶのだ。
「んでわたしもそれが欲しい。メノウちゃんの手腕がみたい。ノウハウを奪いたいの」
「なるほど。なにか理由があるんだな」
「目的は購買部。薬の材料仕入れをもっとデカくしたい。組合で大規模に入荷してるけど、それはあくまでも大口顧客に合わせた仕入れなんだよね、あれ。融通が利かないことがあるってのがさ、ちょっと腹立つ」
「それで今回の件を利用しようってことか」
「組合にバレる状況がバレるまでが勝負だよ。メノウちゃんんとこの部下がブラックフォックス相手にイモ引いたせいで、仕事内容が無茶苦茶になったんでしょ?」
 メノウは椅子の肘掛けに置いていた腕を組んで、鷹揚に頷いた。
 ヴァネッサはその態度に何の疑問も感じなかったが、膝の上の猫は身を捩って彼女の太ももに尻尾を絡ませた。
「色々と教えてくれてありがとう。護衛はどこに?」
「廊下で待たせてるよ」
 そう言ってヴァネッサは扉の前でじっと立っているシヅキに目配せしたが、仮面の奥にある表情は見えなかったし、何の行動も見せなかった。
「クソ、サービス悪いなあ」
 椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったヴァネッサはふらつく身体を楽しそうに揺らしながら、扉を乱暴に開いた。
 男を一人招き入れて、メノウの前へと引っ張る。
「ノワだ、これからよろしく頼む」
「ああ、邪魔はしてくれるなよ」
 情緒の不安定なヴァネッサに雇われているとは思えないほどに、冷静な態度でメノウに対面した。
 メノウは軽く視線をやるだけで、すぐにヴァネッサのほうへ向き直る。
「じゃ、そういうことでよろしくね〜。ノワはちょいちょい報告お願い」
「分かってる」
 そういって先にヴァネッサが部屋を出た。ヴァネッサが出る段になってもシヅキは単に護衛であることを強調するように一歩も動かず、扉を開けるような様子は見せなかった。
 メノウとノワはその後しばらくしてから部屋を出た。時間をずらして、ヴァネッサと同時に建物を出るような愚は犯さないように気を張った。

 **

 先に建物を出ていたヴァネッサは通りへ出てしばらく歩くと、裏通りに入った。誰も見ていないことを確認してから、手に持ったバスケットから液体の入ったガラス瓶を取り出した。手のひらに収まるほどの大きさのガラス瓶には薄い緑色をした半透明の液体が入っている。
 それをヴァネッサはふらふらとした危なっかしい手つきで開けると一息に飲み干した。それから何度か頭を振り、充血した目を瞬かせて、額に浮いた汗を拭った。
「もう大丈夫かな」
(ああ、もういつもの君だ)
 足元の猫――エーリッヒがヴァネッサの顔を心配そうに見上げていた。
 ヴァネッサの猫は、喋るのだ。
 もちろんそれは誰にも聞こえない。ヴァネッサだけが聞き取れる、静かな声だ。
 落ち着いた声音でヴァネッサを気遣う猫は、そのまま横にぴったりと寄り添って通りを歩く。
 ヴァネッサが裏町の薬屋に入ったときも、おとなしくそのまま付き従った。
 薬屋は二人ほど店員がいるが、ヴァネッサをちらりと伺うだけで話しかけてはこなかった。
 一人、睨みつける女がいたが、ヴァネッサのほうは気づく様子もない。
「頭がまだガンガンする……」
(仕方ない、よく食べて寝れば治るよ)
 ヴァネッサは薬屋の待合スペースに腰を下ろすと、カウンター奥の薬棚を見つめた。
「これで取引は上手くいったかな」
(どうだろう。メノウは半ば気づいてたフシがあるよ。やっぱりシラフで騙しても良かった気がする)
 ヴァネッサが購買部に融通を利かせたいというのは本当だが、今回の行動が独断であるのは嘘だ。
 メノウの部下のミスを機に、組合側がメノウを探っているのだ。ヴァネッサは組合と取引して、今回の話が上手く運べば購買部から、それなりの優遇を約束された。
 そうして、ヴァネッサはメノウに組合の息がかかった護衛をつけた。監視役であることを公言したのは、メノウに嘘が通じないというヴァネッサ側の判断だった。メノウに建前で話したところでいなされるのがオチだ。それなら野望をむき出しにして、誰が雇っているかという一番大事な部分だけ隠しておくほうが楽だ。
 だが、それでもメノウは上手くことを運んだ。
(恐らくメノウはまだ部下のやらかしがどんなことだったのかまでは把握してなかったはずだ。城外での乱闘騒ぎは知っていても、それがブラックフォックス絡みとまでは知らなかったんじゃないかな)
「じゃあこっちは腹を探るつもりだったのに、上手くやられたってこと?」
(だとしても、ヴァネッサは気にしなくていい。どんなに上手くやろうとしたって彼相手じゃ難しかっただろう。策を上手くやり通して、一番バレちゃいけない部分だけは隠せた。これのほうが大事だよ)
「じゃ、いっか」
 ヴァネッサはぐったりと力を抜いて背中を鎧戸のふちにあずけた。
「あの、冷やかしなら帰ってくれませんか」
 裏町組合所属のヴァネッサと相手は知ってか知らずか。
 それでもここまであけすけに言えるのは、度胸があると言っていいだろう。
 けだるげにヴァネッサが真正面に立つ相手を見ると、猫耳を揺らした女――ミーシャが仁王立ちしていた。さきほどヴァネッサを睨んでいた店員だ。
「ああ、ごめん。ここの匂いが好きでついついね。少し岩塩を貰おうかな。水もほしい」
「そういうお店に行ってくださいよ」
 そう言いつつも、ミーシャはカウンターの奥へ下がっていった。店長が目顔で彼女に何度も合図を送っていた。
 ――彼女は客よ。 
 事実、ヴァネッサは組合の購買部で賄えない分はかなり市井で購入していた。
 最近はこの店にあまり顔を出していなかったが、元々はここもよく使っていたのだ。
 副作用のほとんどは解毒剤で消えたが、大量の発汗による水分と塩分不足は如何ともし難く、ミーシャの持ってきたコップの水を飲み干すと、ヴァネッサは安堵のため息をついた。
 まだ城外の騒ぎは一段落していないが、ヴァネッサの仕事の一つは片付いた。
 あとはメノウの働き次第だ、とヴァネッサは他人事のように思った。

 Novel.725404