●難儀な注文

【登場人物】
ボルブ・ボルドリック・ボロボレイト
ロック・トライボー
フクマル
キキ・テリヤ・ニートカ
レビィア・トピアス
ドロイ・トピアス
エミリー
イスラ
ダイン
ヴェックマン
リア・エイリコ
エニマ
エルルカ
ハノワリ
ルイ=シャルル・ド・ポラリス=ヘカテリオ
アリミナ
ニレル・ナタン
シャロン
ミーシャ
ザクロ

 赤熱した鉄を鋳造する過程で溢れた熱気が作業小屋に充満し、ボルブ・ボルドリック・ボロボレイトは顔をしかめた。
 それでも作業を止めることはなく、型へ鉄を注いでいく。手つきに乱れはない。しかしどこか上の空な表情だった。
 考え事をしていた。
 ボルブは武具の細工職人だ。武具そのものを作ることはないが、細工職人は需要があるのか客は絶えない。おかげで仕事は忙しく、食いっぱぐれることもなかった。今日も予約が相次ぎ、作業を中断する余裕はなかった。
 それでも悩むものは悩む。
 ――超かっこよくしてくれ! 頼む!
 今日の朝イチにやってきた客に言われたことだった。
 曖昧な注文は多い。この客もその類いだろうとボルブは考えて、色々と注文を聞いた。だいたいの客は曖昧にしか注文を言えないだけで、実際のところ聞いてみると大抵はきちんとしたイメージがある。蛇がのたうち回っているようなビジュアルだとか、龍の顔が正面を向いているものだとか、二股の舌に矢が刺さっている図だとか。
 そういった観点から考えた時、話をしている内に注文がわんさか出てくるロック・トライボーのような客であればかなり楽な方だ。
 しかしその客は違った。そもそも何かしてほしい細工があるわけではなかったのだ。
 彼は衛兵隊の一人であり、最近できた彼女に良いところを見せたくてうずうずしていると言った。彼女に自分がかっこよく仕事に従事している姿を見せたいのだという。しかし武具は退役した父のお下がりで流行りのデザインとは言い難い。だからボルブに細工してもらいたい、というのが彼の主張だった。
 つまり彼自身にかっこよさの指標があるわけではなく、ただただ彼女にかっこよく思ってもらえればそれでいいというのだ。ボルブは再三確認したが、彼はその通りだといった。
 細工職人としてはこの手の注文が一番面倒だった。適当な出来のものを出すわけにはいかないし、かといって向こうに注文がないからそれなりのものを考えなければいけない。こういう場合は出来合いのものからある程度デザインを選んでもらうのが常套手段だったのだが、
「うーん……どれもイケてるけどさ、女ウケってところを考えたらどうかなーって思うんすよね」
 という具合に首を縦に振らない。
 ボルブは武具の細工に男も女も関係ないだろうと思うのだが、彼はこだわりたいらしい。
 そういう難儀な注文を抱えてしまったせいで、ボルブは悩んでいた。

 **

 翌朝になっても答えが出なかったボルブは店の近くで開いているフクマルの食堂で朝食を摂っていた。
 どうすればいいものかと思いつつ、ぼんやりパンを食べる。温かいスープを無造作に口に運びながら、何となく周りを見る。
「こちらなんてどうでしょうか? 明るめの色って使いどころを間違えなければすごく映えるんですよ」
 少女が見た目よりもずっと大人びた、礼儀正しい口調で対面に座る妙齢の女性に生地を見せながらなにか話をしていた。おそらくは商談だ。
 着込んだ服の流麗さと持っている生地を見るに、彼女は服を売っているのだろうとボルブは当たりをつける。
 実際、キキ・テリヤ・ニートカは衣装職人だ。
 一点物の服飾を、顧客への丁寧な聞き取りを行った上で仕立てる商売をしていた。
 そんな彼女をぼんやり眺めていたボルブはしばらくの間、何も考えることなくもぞもぞと咀嚼を続けていた。朝の眠気がまだ完全には抜けておらず、頭もきっちりとは働いていなかったのだ。
 しかしぼんやりからじっとに視線が変わった頃に、ようやく目がさめた。目をパチパチと瞬かせ、自分が見ている光景を何度も確認する。何かに気づきそうだ。頭のなかにはもう答えが出ている。何が出ているか分かっていないだけだ。もう喉までは答えが来ている――そんな気がする。
 ボルブは自分が何に気づいたかを考えようと、頭をフル回転させた。冷えて油膜の浮いたコーヒーを無理やり飲み干し、キキの姿を見つめる。今まで何を考えていたかを丁寧に一つずつ思いおこし、そこから思いついたことを結びつける。
 そう、女性受けの良い武具について考えていたのだ。
 そして今は女性に服を売っている光景を見ている。
 ――気づいた。
 女性受けを狙うなら、まずは女性にどのような需要があるのかを調べればいいのだ。
 それこそ女性に商品を売っているような人たちに。
 
 **

 職人街で有名な人とボルブが考えた時、最初に浮かんだのは新進気鋭と話題のドロイ・トピアスだった。人の噂によくのぼるのもあるが、ボルブが彼を覚えていたのは、職人街でよく散歩しているのを見かけることがあるからだ。
 どうやらインスピレーションが歩いているうちに湧くらしく、日中の職人街をぶらつくとすぐに見つかるくらいだ。ボルブは強いてドロイを探したことはなかったが、たまに見かけることもあったのですぐに見つけられるだろうと踏んで探してみた。
 人通りが徐々に多くなり、かきわけるようにして歩かないと真っ直ぐ進むのもままならなかったが、手慣れた様子のボルブはすいすいと間を通っていく。顔を確認するためにきょろきょろと辺りを見渡すが、その足取りに乱れたところはなかった。
 そうして幾らかの店の前を通り過ぎて人を眺めていると、ぴょこんと人混みの中から飛び出た耳を見つけた。赤銅色のくすんだところが一つもない綺麗な耳だ。広人種のものではない。うさぎの耳を大きくしたようなものだ。
 近づいてみると、剣闘士向けの荒々しい装飾具を見て唸る獣人種、ドロイ・トピアスが立っていた。
「すみません、もしかしてドロイ・トピアスさんですか?」
 丁寧に物腰を柔らかくボルブは声をかける。
 振り向いたドロイは眠たげな目を瞬かせ、ボルブを見た。
「……そうですけど、あんたは?」
 ボルブは軽く頭を下げてなるべく親しみやすそうな態度を取りつつ、自己紹介と目的を話した。
 ドロイはそれを黙って聞いて、最後に一度だけ頷いた。彼は大人しいというより物静かで思慮深い印象を湛えていた。若々しい見た目の割に大人びた様子だから、ボルブはすっかり評判を信用することになった。
「まあ話を聞くだけっていうなら良いですよ。僕もいまはそんなに忙しくないし」
 そういってドロイは頷いた。ボルブは謝辞を述べつつすたすた先を進むドロイへついて行く。すぐメモできるように小さな鞄だけ持っているドロイはかなり身軽で、ボルブでも意識して早歩きしなければ追いつけなかった。そんな様子に頓着しないドロイがアトリエの前まで石畳の上をかちかちと音を立てながら歩いて、ボルブは後ろから息を切らせて追いついた。
 アトリエには一応応接室も用意されていて、簡易的なキッチンもついていた。湯を沸かしたドロイはボルブが固辞するのも気にせず二人分のお茶を用意して、ソファに腰掛ける。ボルブも対面に座り、ありがたく受け取ったお茶を飲みながら話を始めた。
「僕は女性向けだけに絞ってるわけじゃないから参考にはならないかもしれないよ」
「いえいえ話を聞かせていただけるだけで十分有り難いことですから」
 ボルブは袖で首筋の汗を拭いながら、開いた鎧戸から差し込む日差しに目を眇めた。
「まあそれならそれでいいかな」
 僕は昼以降にしか仕事はしないんだ、と言ってドロイは薄い唇を舌でぺろりと舐める。
 それからのドロイはとてつもなかった。ボルブが口を挟む余裕がないほどにひたすら喋り倒して、あらゆる装飾についての話をした。人種によって肩甲骨で支える服にするか肩で支える服にするかといった専門的な話から、天気と服の色の相関性についての話、流行りのデザインがいかにして生まれるかといった業界についての話まで多様に話し尽くした。ボルブは圧倒されるばかりで途中からはほぼ相槌だけしか返すことができなかった。
 ドロイは話をすることで自分の考えをまとめようとしていたのだ。ボルブはそれに付き合わされた形になる。それでも得るものは多かった。特に流行りについての話は参考になった。そこから装飾を考えるのがちょうどいいだろう、とボルブも自分のアイディアを脳内でまとめてみる。
 ドロイは話すだけ話したところで昼ごはんを持ってきた姉のレビィア・トピアスがアトリエに入ってきて、一区切りとなった。
「弟の話に付き合ってくれてありがとうね!」
「いえいえ、こちらこそかなり参考になりました。ありがとうございます」
「今度はそっちの話も聞きたいですね。今のを踏まえてどんなものを作ったのか教えてくれたら嬉しいです」
 そりゃあもちろん、とボルブは言った。そしてそのままアトリエを後にした。考えはすでにかなりまとまって来ていて、後は形にするだけだった。預かっている装備品の代わりに貸したものは大分型落ちするもので、細工を専門とするボルブでは改良を施すこともできない。すぐにでも仕事を終えて装備を返したいところだった。

 **

 しかしそう簡単にはいかなかった。
「おらっ、どけろーっ!」
「きゃー!」
 パンを届けに職人街へ来ていたエミリーが叫び声をあけてうずくまった。
 それから散発的に人混みのなかで悲鳴が起こる。つづいて爆音が響く。通りに面した建物の窓から煙が吹き上がり、その中から人が飛び出す。
 頭に布をかけて顔を隠している男たちが数人で徒党を組んで暴れていた。
 ざあっと人がひいた円の中に男たちはいる。抜き身の刃物を周囲へ向けて振り回し、ぎらついた目つきでむき出した歯から唸り声を出していた。イスラと愚痴りあっていたダインはすぐさま手にしていた槌を握り直して円に向かっていく。イスラは心配そうにダインを見たが、彼の方は頓着する様子もなく槌を振りかぶった。
 他にも幾人かがその場で武器を手にして男たちへ向かった。逆に外へと逃げていくものも大勢いる。中にはほとんど無関心に近い様子で足早に去っていくような人たちもいた。ヴェックマンもその一人で、自分の腹を抱えて大事なものを守るようにしてさっさと通りから姿を消した。
 それでもまだ集まる人のほうが多かった。
 職人街で強盗は珍しいから、取り囲む輪も自然と大きくなる。騒ぎが広がっていることに気づいた強盗たちは血まみれの刃物を振り回して威嚇する。すでに押し入った店で何人か怪我をさせており、中からはうめき声が聞こえていた。
 ボルブも少し輪の中を覗き込んで、何が起きているのか確認しようとする。そこで一人の男と目が合った。
 例の客だった。
 今は休みだったのか装備のたぐいをひとつも持っておらず、横にいる大荷物を抱えたリア・エイリコからフライパンを受け取っているところだった。
 喧騒で何を言っているかお互いに分からないなか、はにかむように笑った男は次の瞬間背中を向けて強盗たちの前へ飛び出した。
「武器を置いて、大人しくしろ!」
 フライパンを構える男は強盗たちを睨みつけて大声を上げた。
 その声に反応した強盗たちは男が何を持っているかも気づかないまま剣を振り回す。器用にフライパンの底で剣筋を逸らし、肩から突進して距離をつめた。そのまま顎をかち上げるようにして頭突きを食らわせ、剣を奪う。戦う心があればフライパンがあんなにかっこよく見えるのか、とボルブは純粋に驚いた。
 その隙をつくったのが功を奏した。
 強盗たちの隙を伺っていた周りの人々が一斉に動き出した。
 ダインはすでに振り上げていた槌を強盗の顔に振り下ろし、鼻っ柱を強烈に折り砕く。鳥みたいな悲鳴をあげた強盗へ、樹法使いが狙いすました一撃を加えた。普段は武具を作るのに使われるであろう水の生成で喉を貫き、ぐったりとなった強盗の手元から剣が奪われる。
 そうして数人の強盗たちがあっという間に蹂躙される。職人街は樹法を使える人も荒事慣れした人も多い。強盗には向いていない。
 しかしそこで強盗は諦めなかった。
「来い!」
「ちょ、やめてくださいっ!」
「うるせえ!」
 強盗は乱れた輪の中で孤立していたエニマとその弟妹たちが乱暴な手つきで捕まえられる。そして刃物を首元へ当てて、残りの強盗たちが周囲に剣を振りかざした。
「てめえら、これ以上近づいたらこいつらの命はねえぞっ!」
 切羽詰まった強盗たちが、どうにかそれだけ言って息を整える。逃走経路は考えているのか、じりじり移動している彼らにはどことなく統一感があった。
 弓を携えたエルルカはどうにか撃とうと影から狙いを定めようとするが、うまくいかない。他にも数人の樹法使いたちが遠距離からの攻撃を仕掛けようとするが、意外にも連携の取れた強盗たちの動きのせいでどうにもならない。
 その中で、一瞬の動きがあった。
 上からの襲撃だ。
 翼を持つ獣人種のハノワリが強盗たちの頭上から樹法を放った。彼は穏やかな喧噪と子供たちを愛する夜風のように温厚な人物だが、決して平和主義者ではない。必要とあらば力を振るうこともできる。
 攻撃のためのものではなく、エニマたちを逃がすための樹法が的確に標的を捉える。するりと伸びた紐が彼女たちを捕まえて輪の中へ投げこまれた。咄嗟に他の人々がエニマたちを捕まえる。そして強盗たちに一瞬の隙が生まれた。
 しかもそこへさらなる追い風が吹く。
「警備隊だ! 今すぐ武装を解いて、膝と肘を地面へつけろ!」
 きびきびとした声は恐れ知らずの警備隊たちのものだった。一人突出したルイ=シャルル・ド・ポラリス=ヘカテリオは返答を待たずに強盗たちへ切り込んでいく。そこへ強盗たちから剣を奪ったボルブの客も加勢し、更には巨大なゴーレムも突進した。
 ゴーレムの使役者――ゴーレムマスターはアリミナだ。広人種の数倍はある巨体を誇るゴーレムが腕を振りかざせば、容易く音速を超える。強盗たちは腹部に衝撃を感じる暇もなく内臓が弾け飛び、赤黒い血で地面を染めた。
 それからは一方的だった。残っていた強盗たちもまたたく間に樹法や剣に抑えられた。制圧した警備隊は職人街の住人たちからの歓声を受けて手を振ったりするほどだった。

 **

 店のなかで怪我をしていた人々はその後にやってきたニレル・ナタンのような治癒術士たちの治療を受けてどうにか立ち直ったようだ。
 警備隊は捕獲に参加してくれた一般人たちに謝礼をしつつも、一部の派手にやりすぎた――例えばダインのような――者たちに普段は使うなよ、等のお決まりの態度を取った。治安維持のための建前ではあるが、分かっていてもダインは少し不満げだ。
 もうほとんどの物見遊山の人々は立ち去っていたが、一部の子どもたちはアリミナのゴーレムが物珍しいらしく近寄っていた。アリミナ自身は派手に動かしたゴーレムの点検に余念がなく、子どもたちに気づいている様子はない。
 だいたいの怪我人は治癒が済んでいたが、それでも軽症の人は少しばかり残っていた。そうした人たちの横には市場で薬を売っているような調毒士が寄ってきて薬を買わされていた。ミーシャのようながめつい調毒士はここぞとばかりに少し安い値段で売りつけて名前を売ることに腐心していた。
 一方で単に人が良いから治癒だけして去るものもいた。鬼人種のザクロなどはその好例で、特に金も取らず、名前も名乗らず治していた。戦い慣れしていない店の主人の外れた肩などをはめたりもしている。
 人質を救う決定打となったハノワリのまわりにはエニマの弟妹が群れており、エニマはひたすら頭を下げていた。ハノワリは全然大丈夫ですよ、と笑って集まってきた弟妹たちに飴をあげていた。
 ボルブは変形したフライパンをリアに返すか迷って所在なさげに立ち尽くす男を見つけて近寄る。
「大丈夫でしたか?」
「ええ、まあ。でもこれがね……」
 そういって男は底に骨片がこびりついたフライパンを撫でる。もう料理に使えそうな形状ではなかった。
「でも良いんじゃないですか、かっこよかったですよ」
「そ、そうですかねえ……へへ」
 ボルブの言葉に頭をかいた男は、その手にまだ血がついていることに気づいて慌てた。しかしもう髪は汚れてしまった。そもそも戦っている最中にかなりの返り血を浴びている。服はどろどろだ。
 そんな彼がとりあえずリアへフライパンを返しにいこうとしたところで、呼び止める声が上がった。
「だ、大丈夫!?」
 さっきのボルブよりずっと深刻な声音で近づいてきたのは、ほとんど着の身着のままといった様子でエプロンに油ハネの跡がついている女だった。手には握っていることを本人すら気づいていなさそうなパンがある。切る前の一斤まるごとだ。相当慌てているのが伺えた。
 それに血みどろの男を見ても怯える様子もない。
「ああ、それよりなんでここに?」
「ちょうど買い物してるところだったから……ってそうじゃなくて! 本当に怪我はないのよね?」
 もう一度頷いた男は、彼女が汚れないようにそっと距離をおいた。しかし女の方はまったく気にせず男の血にまみれた頬を撫でた。それから汚れるのも構わず胸へ飛び込む。
 それでボルブは彼女が男の言っていた人だと気づいた。
 そこには、細工職人が入る余地はなさそうだったから、もう無理をして装飾に凝る必要も、流行を狙ったデザインも必要ないと思った。だがボルブは職人だ。彼らのために、精一杯の仕事をしようと密かに決心する。
「まったく難儀な注文だ」
 そうして独りごちるボルブには自然と笑みが浮かんでいた。

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