●幻想源樹観察塔

【登場人物】
crc_0009:エレナ・ウォレス
ミリアルド・ロンズ=シアンクラウン

「でかいな」
 訪問者は腰に手を当てて見上げた。
「これが源樹と同じなのか」
「いえ。一割もその性能は発揮出来ません」
 感嘆の声をあげる小さな訪問者に、エレナ・ウォレスはあっさり答えた。
「研究に百年以上を費やしましたが、どうにか樹液の発光を観察出来たくらいです」
「つまり見てくればかりのポンコツか。使えないな」
 失望を隠そうとしない若い貴族は、そういいながらもためつすがめつ幻想源樹を観察する。自分が見ていたらその性能が十倍にも二十倍にも膨れ上がると信じているかのように。
 幻想源樹。
 源樹を元にして作り上げた、もう一つの源樹。
 世界の発展の根幹をなす樹法、その力を自らのものとせんと、始められた研究だ。
 王立樹法研究院の地下から生えている塔は、この幻想源樹を収める為に作られた場所だ。
 だが成功した、といってもそれはただ苗木が生長したということに過ぎない。本来の源樹であれば煌々と火が灯るように樹液は輝き、葉から枝へ枝から幹へと光の幾本もの筋が駆け巡り、樹法をなりたたせしめる力の滞留が常に起こるというのに。この幻想源樹はただ夜灯りのような優しい光を留めるだけだ。それにしても大きさだけはすごい。
 ミリアルドの身長と反比例して。
 不敬な想像を悟られないよう、エレナは子供好きする微笑を訪問者、ミリアルドに向けた。
「幻想源樹を眺めながら、お茶でもいかがですか。ミリアルド・ロンズ=シアンクラウン様。
 そのうえであなたの目的をお伺いしましょう」

 襟元で切りそろえたサラサラの金髪にエメラルド色の瞳。緑の軍服は彼の国の公式衣装だとエレナは知っている。襟から真っ直ぐ下りる打ち合わせの縦の線は赤、胸下あたりで止めるベルトも赤い線二本で中央に十字を描く。“殺すならばここを狙え”の意味があるという、シアンクラウン家の衣装。ちょっとかっこいい、とエレナは思った。
 少年のように膝の出た足を椅子のうえで不器用に組むミリアルドに、ポットを持ったエレナがすーっと泳ぎ寄って茶を注ぐ。下半身魚の姿、獣人種で魚の力を持つエレナは日常をこうやって泳ぎ暮らす。
「どうぞ。殿下」
「む」
 見れば見るほど十歳前後くらいの少年に見える彼は、不快そうに尋ねる。
「君の椅子はどうした」
「私は椅子がいらないんです」
 エレナが膝を折ると、まるで本当に腰掛けているようにエレナが宙に浮く。
「足がなくても、椅子ではなく宙に座れますから」
「なるほど。わたしの分の椅子しかないから不信に思ってたんだけど。飛んでいるから出来るのか。すごいな!
 ま、ならいっか」
 と香ばしい茶を飲んだ。そして猫のような微笑みを見せてエレナを褒めた。
「しかし、君はすごいねえ。そうやって空を泳ぎながら源樹の研究をしているんだからねぇ。うちのノエルも背は高いけど、飛ぶことは出来ないからね」
 ノエルとはシアンクラウン家自慢の戦士である。いつもミリアルドの側にいる彼が今日はいないのは、これが純然たるお忍びである証拠だ。
「人魚は初めてですか?」
 赤い茶を飲みながら尋ねるエレナに、ミリアルドは首を横に振る。
「いや。ドットレム選王家の一つは女性に多く人魚を配する貴族がいるし、お婆様の系譜のオルオラでは人魚の妃の悲劇が有名だ。
 だから人魚は基本的に、風呂桶のなかでしか生きられないことも知ってるぞ」
「その方が楽、というだけで、別に水中でなければ死んでしまうこともないんですよ。ただ外は乾きやすいんです」
「なるほどね。つまり獣人種人魚系の脅威は、油断してたら食べられちゃうこと! なわけだ」
 にやっと笑われてエレナはムッとしたが、必要以上に怒りを覚えなかったのは、ミリアルドの笑い方がまるで少女のようだったからだ。小さな子の残虐さは針を刺すように痛いけれど、抜けてしまえばどうということもない。ただそれでもエレナの眉間の間に変化は出たのだろう。肩をすくめて。
「冗談だよ」と若い貴族は言った。
「でも、すごいねえ、は本当。樹法で飛んでるんだろ? どんな樹法なの?」
 身を乗りださんとするミリアルドの態度に、エレナは小首を傾げた。何故この人は、飛ぶ、ということにこんなにこだわるのだろう。
 もしかして――。と思い当たると、小さな笑いが出てしまう。
 さっきのがエレナを試す意地悪だとしたら、今度はエレナが攻撃側だ。
「あいにくですが、シアンクラウン様はこの樹法が使えません」
「え?」
「これは人魚系獣人の身体を媒体にして泳ぐ樹法なんです」
 ミリアルドはゴーレム使いで、樹法の知識も人並み以上にある。それゆえにエレナのいう意味がすぐに判った。
「源樹の力を媒介にして泳ぐんじゃなくて、人魚の姿形そのものに泳げる力を付与するってこと!?
 じゃあ僕がそれ使っても空飛べないじゃん!!」
「だからシアンクラウン様にはこの樹法が使えない、と申し上げました」
 がっくりと崩れ落ちるミリアルドに小さなため息が出る。
 やれやれ。
「そんなに空が飛びたかったんですか?」
「うるさい! うるさい! うるさあい!」
 尋ねたエレナに、ミリアルドは大きな声を上げる。
「背が低いから、年下って思われるんだ!
 かっこよく空を飛べたら、ノエルの弟さんなんて間違われないだろ!
 この気持ちが、エレナにわかるかぁ!」
 涙目でじたばたするミリアルドに思わずエレナは笑ってしまう。
 背丈より、落ち着いた物腰が大事じゃないですか。
 ね? シアンクラウンの貴族様。

 Novel.十九彦