●ある医師の冒険

【登場人物】
crc_0005:アザミ
crc_0008:アリミナ
crc_0012:ドクトル・ハニィマシュー
crc_0015:ルルバ
crc_0014:サヤ

「ありゃあー……」
 ざらついた黒っぽい壁を左手で撫でて、鬼人種の女性は口をとがらせた。
「閉じ込められちゃいましたねー……」
「なんだって?」
 白い外套を羽織った眼鏡の男が片眉を上げる。
「こじあけられないか? あるいは殴って壊すとか……。その馬鹿力で」
「私をなんだと思ってるんですかぁ……」
 鬼人種の女性……アザミが振り返って慇懃に言うドクトル・ハニィマシューにげっそりした顔を見せる。顔は仮面に隠れて見えなかったのだが。
「さっき古い瓶をこじ開けたろう。鬼人種は怪力と聞くぞ」
「膂力の刺青のおかげですけどね。でもだめ。こんなの素手で殴ったら拳が壊れちゃいますよ。武器はさっきのどさくさで落としちゃいましたし」
 アザミはランタンを掲げて周囲を見回した。
「崩落かな」
「違いますねー。これは壁が降りてきたんです。罠ですよ」
 狭い。天井まではおよそ2ミル半。幅3ミルほどの通路を歩いていたところ、前後の天井が崩れた。
「もう一人はどうした」
「サヤさんですか? ちらっとしか見てませんけど、彼女ならすばしっこく飛び退いてましたから……多分助かったんじゃないかと」
 ドクトルはフンと鼻息を鳴らした。
「つまり、今はキミとこの狭い中で二人きりか……」
「私だっておじさんと二人きりなんて嫌ですよ」
「おじさんではないっ!」
 ランタンの芯がじじっ……と音を立てた。

 双子都市ソーンの地根である“迷宮”エルディカ。
 そこの比較的上層のエリアに新しい未探査の通路が見つかったと聞いた医師ドクトル・ハニィマシューは、早速そこを訪れた。地根内部で発見されるある種の鉱物が、いわゆる石化の病と呼ばれる症状に効果があるということを古書から読んだ彼は、その鉱物を発見しようと躍起になっていた。
 もちろん一人で危険なエルディカに乗り込むほど、彼は愚かではない。
 知り合いである鬼人種の錬金術師アザミとサヤという二人を伴っての探索行だ。この二人はともにエルディカの遺物が目当てだったので、つまり、護衛の報酬が安く済む。彼は裕福だったが無意味な出費を喜ぶほどこれまた愚かではない。
 女性二人の道連れではあったが、ドクトルはあくまで紳士だった。と、言うか、彼にしてもアザミにしてもサヤにしても、自らの研究のためになる物質を探索することで頭がいっぱいだったのだ。
 それが故のこの失敗であるとも言える。
「いやぁ。でもおじさんがわるいんですよぉ」
 アザミがのんびりと言って、じっとランタンの火を見つめた。ほとんど揺らいでいない。空気が流れていないのだ。
「おぉ、そうだ」
 ドクトル・ハニィマシューは思い出したように、床の片隅に倒れた奇妙な鎧を調べだす。まるっこく、実用性の薄そうな鎧だ。多分第二紀のもので、かなりの貴重品であることはアザミにも予想できる。しかしそれは朽ち果てていて、触れただけで崩れてしまうほどだった。
 通路に落ちていたこの鎧に興味を惹かれたドクトルが突然うずくまったのが、そもそもの始まりだった。
 彼はステッキでそれをつついたり、鞄から採取具を取り出していじくり回したりし始めた。
 もちろん、アザミとサヤにしてもそうだ。
 何の変哲もない鎧だと思いきや、ドクトルがつまみだした金属片に、二人は興味を惹かれた。
「見給え」
 壁を調べつつもその鎧に視線が言ってしまうアザミを、ドクトルが手招きした。
 いそいそとそばに寄って光を当て、彼の手元を覗き込む。
「朽ち果てた鎧の中に薄く引き伸ばした金属がある。錆びていない。この鎧の素材はサンドウィッチのようにこの金属を挟み込んでいるんだ。驚きだ。驚くべき冶金術だ。どうやって作っているのか想像もできない。そしてこの薄い金属こそが、きっと本来必要なものなのだ」
「へぇ」
「わかるかね?」
「持って帰って調べないと。薬液に漬けたり。この金属には腐食が見られない。加工できるかな。発見かも」
「そうとも。この素材はあたしの求めていたものかもしれない。これは君の給金の十倍、あるいは百倍の価値がある」
「じゃあ報酬上げてくださいよ。生きて帰れたら」
 アザミ彼から松明を取り上げた。床に投げ出し、踏みつけてそれを消す。
「な! なにをするんだね!」
 それから自分の持っていたランタンにも、ふっと息を吹きかけて消してしまった。
「なにって……閉鎖空間ですよ。食べ物も水もあるけど、いつまでも火を焚いていたら息が詰まる」
「閉鎖空間だって?」
「そう。この中の空気を吸い尽くしたらオシマイ」
「それくらい解る。あたしは医者だよ」
「あんまりかかりたくないなぁ」
「キミと心中はごめんだ。なんとかならないのかね?!」
「私だって戦いで死ぬのは覚悟してるけど、おじさんと空気を奪い合いして死ぬのは嫌ですよ。サヤさんが向こうにいるはずですから、彼女を信じるしかないですね……彼女にいくら払ってましたぁ?」
「キミと同じだよ。前金で銀貨十枚。帰ったらもう十枚」
「銀貨十枚のために戻ってきてくれるかなぁ……。ドクトルも大人しくして、壁の向こうに耳を澄ませていてください。誰か来たら叫びましょう。それまではおとなしく……静かに……違います、こっちじゃない。こら体に触れるな! 向こうの壁に寄って!」

 自分の身に起きた不運を呪い、貴重な物質を持ち帰れないかもしれないことによる世界の損失とやらをぶつぶつ言い続けたドクトルが救助されたのは、案外に早かった。
 時間にして三時間ほど。もっとも、ドクトルとアザミにはもっともっと長く感じたが。
 がんっ、がんっ、という壁を殴りつける音がしばらく響き、彼女は拳を固めて待ち受けた。敵の可能性は排除できない。
 ばかんっ、と壁が崩れ、投光式ランタンの明るい光が二人の目を焼いた。
「おー。生きとったか。よかったよかった。うち、キミらが首でも吊ってりゃしないかと不安だったんじゃわ」
 仮面の向こうで笑う鬼人種の女性は、サヤだった。

 一人難を逃れた彼女は迷宮を歩き、ちょうど彼女たちと同じように宝探しに繰り出していたゴーレム使いであるアリミナと彼女の連れのルルバを見つけ連れてきたのだ。
 壁はアザミの腕力でも破壊できなかったが、アリミナの持つ改造を繰り返されたゴーレムの拳は強力だった。分厚い金属を使用したゴーレムの拳は、破城槌のように壁を破壊したのだ。
「ありがとうサヤさん!」
「いいって。あ、これキミの武器。そこで拾った。クッソ重いわ……。それより例の鎧は崩れてないか?」
「もちろんだ。いや、キミを誘っておいてよかった……サヤクンのおかげだ」
「なんだおじさん、気持ち悪い……」
「おじさんではないと!」
 三人が再会を喜んでいると、光を背にして大柄なゴーレムがみじろぎする。アリミナの特製ゴーレムだ。
 穴からひょっこり顔を出した金髪の小人種の少女が、連れの銀髪の女性の尻を叩いた。
「やるじゃないか」
「私のゴーレムは完璧です。エルディカの壁も破壊できることがわかりました。でもちょっと腕に負荷がかかったみたいで……直すのに部品がいりますね」
「ま、それはどうとでもなる……よな?」
 ルミアはアザミに目配せし、一方助けられたドクトルは、ようやく光に慣れた目をしばたかせた。
「いや、助かった……なんとお礼を……」
 ほーっとため息をつく彼に、サヤが平手を立てる鬼人種流の謝罪の仕草をする。
「すまんなぁ」
「何がだ。キミは命の恩人だ。本当に助かった。危うく世界は大きな損失を被るところだった……」
「それなんだけど……」
 きょとんとするドクトルに、ルルバは笑顔でぐいっと手を出した。
「助け賃。銀貨で三百枚」
「……は?」
「そういう約束だから。助けられてから値切るのはナシだっちゃ」
「申し訳ないですけど、ゴーレムの肩関節も交換しなきゃならないので……」
「さんびゃくまい……」
 ドクトルは裕福ではあるし、命の値段と思えばそう高くはないだろう。しかし……。
「待ってくれ! 我々は貴重な金属を発見したのだ! これは世界の錬金術、医術を数歩進めるかもしれない!」
「はぁ」
 ルルバが半眼で言う。
「で?」
 ドクトルは後ろで目をそらすアザミとサヤを一瞥してから、がっくりと肩を落とした。
 まったく、“迷宮”は一筋縄ではいかない!

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