●消えた樹法具事件
「べつにね、わたくしクレームをつけたいわけじゃありませんのよ」
ラスグィル・ダルジェエリングは声が上ずらないように気をつけながら商会のカウンターですでに何度めかになる注釈をつけた。
「はぁ……」
明るい色のぴったりした絹の服に貴金属の飾りをいくつもまとった若い女店主が、がっくりと金髪を揺らして項垂れる。
最初は中年の男性店員が相手をしていたが、「あなたじゃ話になりませんわ」と文句をつけること三回目で、店主であるエクスの登場と相成ったわけだ。
エクス貿易商会は彼女が父親から受け継いだ商会で、最新の航海術で可能になった迅速で大量輸送の海運を主とする企業で、全世界に航路を確保しようという新進気鋭の商会である。
そのために必要なのはなんといっても情報で、エクス貿易商会の事務所は酒場の居抜き物件を活用したカフェとして営業している。これは当代のエクス嬢になってからだ。
くだんのカフェでは海運商人たちが集まりお茶などを楽しんでいるが、もちろん主目的はお茶ではない。情報である。
たとえば「オルオラで大寒波があったらしい」と聞けば、小麦の値段が上がるであろうことはいっぱしの商人であればピンと来る。船を仕立ててオルオラへの危険な航路を抜けることができれば一攫千金。
だから、ここにはいち早く情報という最新の武器を手に入れるべく、野心に溢れた冒険商人たちが集まるのだ。ついでに単にめずらしい話を聞きたい街の住人たちも。彼らが交流することで、エクス商会の一階はまるで情報を食べて成長する生き物のような様相を呈してゆくのだ。
もちろん元締めであるエクス商会はそれらすべての情報を一手に握ることが出来る。
これがどれほど有利かは、エクス商会が軌道に乗るまでは誰も思いつかなかった。
そんなエクス商会のカウンターで、一人の美女が口をとがらせて文句をつけている。
青を基調にしたドレスのスカートは優美なドレープを描き、ストールは清潔な白。フリルをふんだんに使った袖口からは白いこれまた優美な指が伸び、こつこつとカウンターを叩くのと、すでに五杯目になる紅茶のカップを持ち上げるのとで忙しい。
腰に下げた革のバッグについた銀のナイフは細かい彫金がほどこされていて、みるからに高価なものだが、見るものが見ればそれは樹法を発動する際に使う法具であることが解る。つまり彼女は樹法使いなのだ。
豊かな金髪を頭の後ろで結い上げた彼女は、青い目を燃やして店主に食い下がった。
「注文していた品物が届かない。これはよくあることですわ。だからそれなら別におとなしく引き下がります。お金も返してもらったことですしね」
「だからぁ……」
「でもっ!」
ラスグィルは空になったティーカップをカウンターに戻し、指でおかわりを指示。それから再び人差し指を立てた。
「この街まで来て盗まれた、というのであれば話は別ですわ。だって品物はこの街にあるということですもの。大切なものは消えてなくなったりはしない、いつだって足元にあるのだ。という言葉をご存知かしら?」
「アルベルト・カデンツァの引用。まだあなたの大切なものじゃないでしょ」
ラスグィルの隣でうんざりとホットワインをすすっていたレイが口を挟む。
「あなたは口を挟まないで!」
「そりゃちょっとの間ならそうするわよ。でもね、朝に来てもう昼よ。お昼ごはんおごってくれるって言ったよね? 虎の鰭亭のランチって。終わっちゃうわ!」
「レイ・セライン! あなたこのことがどれだけ大事なことかわかりませんの?!」
「大事なんでしょうね。あなたにとっては! でもわたしにとって鱸のマリネがどれだけ大事かにも、ちょっと想像力を使ってくれてもいいんじゃない? その灰色の脳細胞とやらでさ」
船乗りのようなコートを翻して、レイはスツールの上で足を組み直した。赤いジュストコールを腰のところでサッシュでまとめ、やはり繊細な彫金をほどこしたサーベルを吊っている。腰の後ろには小ぶりのピストルを差していて、ちょっとした銃士といった風情。
やはり豊かな金髪を後ろで束ね、勝ち気なすみれ色の瞳にも今はうんざりとした色が見える。
「ねぇエクスさん」
きゃんきゃんと言うラスグィルを右手で押しのけて、レイは心底同情する、といった顔で、商会の主に話しかけた。
「一体どこで誰に盗まれたの? そりゃ秘密なのは解るけど……」
レイは声をひそめてエクスに言う。
「わたしももう帰りたいの。教えてくれれば相棒をなんとか連れ出せると思うわ」
エクスはため息を付いて、店員に言って紙とペンを用意させた。
「うまくいきましたわね」
「まーね……」
つば広の帽子をかぶって顎を少しそらしながら、ラスグィルはおかしそうに小躍りした。横を歩くレイはうんざり顔だ。
「こういうのなんて言うか知ってる? 怖い刑吏と優しい刑吏よ」
「今度は怖いほうやりたい。楽しそうだったから」
レイはため息を付いて、大きな羽を飾った帽子をかぶり直した。
ラスグィルがエクス商会に注文してあった品物が、商会から盗み出されたという。
彼女がその品物に目をつけたのは、商会が今度レゴスメントから持ってくる品物のリストを手に入れたからだ。レゴスメント大教国は樹術の本場でもあり、古来から聖典としての樹法を大切に守っている。そこから樹法具などが流出することはめったになく、国民の中でも教会関係者以外が手に取る手段はほとんどなかった。
そんな国の法具を扱う店が倒産したという情報を手に入れたエクス商会が、それをいち早く押さえたのだ。そして街の樹法具に興味の有りそうな顧客にリストを渡し、購入者を募った。
ラスグィルの専門はレムであり、ゴーレムであり、躯体の作成だったが、それでもこのリストには飛びついた。いくつかの珍しい樹法具にチェックをつけて入金発注し、レイを相手にリストを指差して知識を(得意げに)披露した。
入荷予定日のお知らせを聞き早速我が物にすべく準備をしていたラスグィルだったが、それは叶わなかった。
盗まれたのだ。
入荷した後、商会の倉庫に一時置いている間に、くだんの樹法具を含むいくつかの品物が消え失せた。
エクス商会は平謝りに謝り、もちろん商会の情報網で犯人を探してもいる。
しかしラスグィル・ダルジェエリングは、はいそうですかよろしくおねがいしますわねごめんあそばせ、などと引き下がるほど大人しい女ではなかった。
「でも、別に物には執着してないでしょ」
レイが言うと、ラスグィルは肩をすくめて応じた。
「まぁね」
傘をステッキ代わりにして、双子都市ソーンの石畳をこつこつと歩く。石畳は少しでこぼこしていて、これはソーンの特徴のひとつだ。商店街から住宅街を抜けて港へ。表通りは広いが、一本中に入ると三階建てや四階建ての建物が両側から迫ってくるような狭い路地に入る。
石造りの建物はどれも古く、ものによっては千五百年前からの建物もあるという。その上に、木やレンガで増築された建物がのっかっている。新築や改築には防衛上の観点から王女府の許可がいる。それには長い審査の時間がかかり塩漬けにされることも少なくないので、たっぷりと賄賂を渡せる金持ちしかやろうとしない。かくして庶民の住む建物は古いまま、上に上にと増築されてゆくというわけだ。
「確かに物は惜しいけれど、気になるのは誰が、どうやって、なぜ盗んだのかですわ。法具はどれもそれほどきらびやかなものじゃないですもの。さっきのエクスさんのお話によると、一緒にあった金庫には手もつけていなかったそうじゃない?」
ラスグィルは美しい唇をにいっと歪ませた。
「興味深いわ」
「そう」
「樹法具は誰にでも価値があるものじゃないわ。樹力を遮断できる冷たい鉄もそう。原料として鋳潰せばともかく、できあがった樹法具はきちんとした者の手になければ働かないし、所有権を得る手段は秘匿され、限られているもの。基本的に国家が管理するから、エクス商会も、もし盗まれなかったらわたくしに引き渡す前に王女府を通したはずよ。お金があるから形だけでしょうけれど」
「ご禁制のものがあるってこと?」
「混じっている可能性はありますわね。妙に高い値のついたものもあったから」
「あなたのほしがってたのは?」
「鍵よ。ゴーレムキー。対になっているゴーレムを動かすための起動法具ね。……これ、説明しましたわよ? 聞いてなかった?」
「聞いたっけ?」
「リストを見せて、無学なあなたに説明して差し上げましたわ」
「あぁ……眠れなかったからいい子守唄になったわ。ママもう一回お願い」
「……。ゴーレムがなくて鍵だけ流出することは珍しくないの」
「そりゃそうね。ノードス戦争の時に、ゴーレムなんてさんざん壊されたもんね。鍵だけ余るに決まってる」
「でもそれは情報と技術の塊なの。わたくしたちのような知識を追い求める者にとってはね……。今回のはちょっと見たことがないタイプで……」
「どんなの?」
レイが興味なさげに相槌を打つ。ラスグィルはそれに気付いているが気にもしないで滔々とおしゃべりを続けた。
「小さな鍵よ。鍵の形のゴーレムキーは意外と少ないの。真鍮でできていて、赤い宝石がはまっているわ。だいたいは樹文で何か書いてあるけど、リストにあった特徴のところには何も書かれていない、とあった」
「珍しいの?」
「とてもね」
路地を抜けると、さあっと海の風が流れる。
港だ。
「エクス商会の倉庫は港の……ええと、南の四番ね。さぁ、行くわよレイ」
「いいけどさぁ……お昼食べてからにしない? 虎の鰭亭、近いわよ」
「先に倉庫に行ってからね。おごってあげるんですから、それくらいは付き合って頂戴」
うきうきと大股で前を歩くラスグィルを、レイはがっくりと、しかし少し楽しそうに追いかけた。
彼女だって謎解きは好きだし、楽しそうな親友を見るのも好きだったから。
「待ってよ! ちゃんとごちそうしてよ! 別にけちるわけじゃないけど楽しみにしてたんだから、ランチ……」
Novel.hirabenereo